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人間消失殺人事件 [日本の作家 赤川次郎]


人間消失殺人事件 (講談社ノベルス)

人間消失殺人事件 (講談社ノベルス)

  • 作者: 赤川 次郎
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2016/05/07
  • メディア: 新書


<裏表紙あらすじ>
毎朝同じバスで通学していた高探生の南尾小百合は、ある朝、いつもの駅で降りずに行方不明になってしまう。失踪直前、少女と一緒にいて疑いを掛けられたのは、一人の男性だった。しかし一年後、少女は旅芸人の一座で発見される。喜びもつかの間、彼女の失踪事件はさらなる悲劇を呼び寄せて……!? 偶然、現場の温泉宿に居合わせた大貫警部が事件に関わらないワケがない! 読むと元気がわいてくる、人気ミステリーシリーズ最新作!


大貫警部シリーズ第16弾の本書「人間消失殺人事件」 (講談社ノベルス)には
「人間消失殺人事件」
「有名無実殺人事件」
「寄生生物殺人事件」
「上昇志向殺人事件」
「高温多湿殺人事件」
の5話が収録されています。

表題作は、まず、タイトルがちょっと...
これだと、単なる失踪であって、人間消失とは言わないでしょう...
で、中身もちょっと困りもの、です。
そもそも家出して旅芝居の一座に入って、というかたちで一年ほどもわからないまま、なんてありうるのでしょうか?
それはありうる、としても、小百合が家出し姿を現さないばっかりに、小百合を殺したのだろうと警察に取り調べを受けた男性が死んでしまう(もともと心臓が弱かったために)、という事態。もちろん、一番悪いのはひどい取り調べをした警察ではありますが、17歳にもなって自分が引き起こしたこと(=自分の好きなことだけをして、まわりのことはちっとも考えないことから起こった出来事)の結果をまるで他人事のように感じるのでは困りもの、ではないでしょうか。小百合の両親の反応・対応もかなりひどい。

そう感じていると、第二話「有名無実殺人事件」も、困りものです。
中学生に薬を飲ませて不届きなことをしようとしてた六十五歳の社長が殺され、その中学生が殺したと目されている状況。社長の娘(大人です)がその中学生に非難をぶつけたところに、井上が
「あなたのお父さんは、この子に薬を飲ませて、一緒に風呂に入ったりもしたんです。その方がまともじゃなりませんよ」(84ページ)
警察がこのセリフはだめでしょう。まるで殺されてもいいみたい。確かに、社長のした行為は許されることではないと思いますが、だからってその方が殺すことよりも「まともじゃない」というのは常軌を逸していないでしょうか。
「あら、いつから警察は人殺しの味方になったの?」
と返した娘に、今度は直子が
「敵、味方の問題じゃありません」「人間の倫理の問題です」
いつから、人殺しが正当化されるようになったのでしょうか? 人殺しも立派な倫理上の問題ですけどね。
もちろん、この種のミステリのことですから、中学生がやったのではなく真犯人が現れるわけですが、そして読者は当然そのことを予想しているので、↑の部分の違和感は軽減されるのですが、それでもこの一連のやり取りはアウトだと思います。

弱いものの立場に立つのは結構ですが、そしてそれはエンターテイメント上とても大切なことですが、一方でそれ以外のものの立場や権利(人権)にも必要な配慮というのはあると思います。
あまりに一方的にストーリーを組み立てているようでは支持されないでしょう。
ちょっと最近の赤川次郎は、このあたりのバランスを崩してしまう例が多くなっているように思えます。心配です。

似たようなことは第五話「有名無実殺人事件」にも出てきます。
囮に赤ちゃんを使うなんて、あり得ますか? ふとした拍子に簡単に殺されてしまいますよ。
殺人犯に対する囮は、当然危険で、ミステリや映画ではちょくちょく用いられる手法ですが、やはりそれは、囮になるもの自身がきちんと危険を理解したうえで、大げさに言えば覚悟を持って挑む必要があると思うんですが、赤ちゃんだとそんなこと望めない...
こういう展開を使うこと自体がアウトだと思います。

「寄生生物殺人事件」と「上昇志向殺人事件」についても触れておくと、どちらもあまりにも戯画化され過ぎた登場人物の設定で白けてしまいます。
倫理観が歪んでそちらに井上や直子が肩入れする、なんてことはありませんが、それでもここまで極端な性格の人物では...
大貫警部がデフォルメされた設定で、それと対峙させるという意味合いもあるかもしれませんが、すこしやり過ぎでしょう。
このシリーズはもともと危なっかしいところを秘めているので、慎重に書いていってもらいたいです。



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魔法の色を知っているか? [日本の作家 森博嗣]


魔法の色を知っているか? What Color is the Magic? (講談社タイガ)

魔法の色を知っているか? What Color is the Magic? (講談社タイガ)

  • 作者: 森 博嗣
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2016/01/19
  • メディア: 文庫

<裏表紙あらすじ>
チベット、ナクチュ。外界から隔離された特別居住区。ハギリは「人工生体技術に関するシンポジウム」に出席するため、警護のウグイとアネバネと共にチベットを訪れ、その地では今も人間の子供が生まれていることを知る。生殖による人口増加が、限りなくゼロになった今、何故彼らは人を産むことができるのか?
 圧倒的な未来ヴィジョンに高揚する、知性が紡ぐ生命の物語。


Wシリーズの第2作です。
このシリーズ、あらすじ書きにくいでしょうねぇ。

舞台がチベットに移っています。
「人工細胞、人工生命体、人工知能に関する技術と、それらの応用分野がテーマの」(30ページ)シンポジウムが開かれ、そこへハギリ達が赴きます。
ラサ空港から、シンポジウム会場の途中に、ナクチュ特別区というところがあり、そこでは今も人間の子供が生まれている、という設定になっています。

あらすじに書かれている「生殖による人口増加が、限りなくゼロになった今、何故彼らは人を産むことができるのか?」 という点は、前作「彼女は一人で歩くのか? Does She Walk Alone?」 (講談社タイガ)でも触れられており、感想のページに伏字代わりに色を変えて記録しておいたのですが、この「魔法の色を知っているか? What Color is the Magic?」 (講談社タイガ)でも出てきます(出てくるのは当たり前ですね...)。今回も色を変えておきます。
世界中の人間が子供を作れなくなったのは、ウィルスなどの原因によるものではなく、まったくその逆なのだ。つまり、古来の人類がなんらかの問題を抱えていたからこそ、子供を作ることができた。あれは生物として異常な状態だった。現代の人類は、人工的にピュアな細胞を実現し、その障害から解放された。結果として、子孫を作れないという新たな問題が顕在化した」(34ページ)

この背景のもとウォーカロンが増えていて、人間とウォーカロンの区別というシリーズのテーマがいろいろと考察されていきます。
「思考回路のハードが何であれ、信号の種類がたとえ違っていても、意識は生まれると思っています。それが単なる錯覚であれ、自己観測ができる知能とデータ量を持てば、それを意識と呼べるでしょう。ですから、いつから生まれるという閾値はありませんね。意識は、低級な機械にさえあるということです」(47ページ)
ちょっと、くらっと来るような意識論ですね。

また人間がなかなか死ななくなったことを受けて
「すなわち、人類のインテリジェンスの時間的限界とはどの程度か、精神はどのくらいまで崩壊せずに耐えられるのか、という問題」(172ページ)
も出てくる、と。これも「彼女は一人で歩くのか? Does She Walk Alone?」 で出てきた考察ですが、確かに大きなテーマかも。「死すべき存在」でなくなるというのは、ありがたいけれど、大ごとですね。

テーマとはずれるとは思いますが、「魔法の色を知っているか? What Color is the Magic? 」でクーデターが扱われているのを受けての
「いわば、平和というレンガを、戦争というモルタルで積み上げていく構造に近い」(249ページ)
というのも、皮肉が効いていてちょっとドキリ。

真賀田四季としか思えない人物? (ウォーカロン?)がちょくちょく出てくるのも印象的です。
我々をどこへ導いてくれるのでしょうね?

英語タイトルと章題も記録しておきます。
What Color is the Magic?
第1章 一連の問題 Sequence of matters
第2章 一連の危険 Sequence of crises
第3章 一連の生命 Sequence of lives
第4章 一連の伝承 Sequence of legend


<蛇足>
①「サンドイッチに似せた簡易なランチ」(26ページ)ってどんなものなんでしょうか? 気になりました。

②「片脚だけミニスカートで、真っ白のドレスだった」(85ページ)ってどんな服装なんだろ? 気になりました。

③「間髪を容れず」(85ページ)に、きちんと「かんはつ」と振り仮名が触られていました。
講談社なら当たり前なんでしょうが、一般には「かんぱつ」と読まれることが多いようなのでちょっとうれしかったりして...





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迫りくる自分 [日本の作家 似鳥鶏]


迫りくる自分 (光文社文庫)

迫りくる自分 (光文社文庫)

  • 作者: 似鳥 鶏
  • 出版社/メーカー: 光文社
  • 発売日: 2016/02/09
  • メディア: 文庫


<裏表紙あらすじ>
総武線で隣を並走する電車に乗っていた、自分に瓜二つの男。後日その男と再会した俺は、気づけば犯罪者にさせられていた。顔が同じことを利用して周到に仕組まれたらしい冤罪。あいつはいったい誰だ? なぜこんなことを? 日常を突然奪われた俺の、必死の逃走劇が始まった。自分から過去から警察から、逃げて逃げて逃げまくれ。疾走する新感覚のエンタメ小説


似鳥鶏さんらしい部分もいっぱいありますが、それでも基本ラインとして似鳥さんらしくない作品だと思いました。
文体とか、キーとなる人物で主人公の同僚である朴さんのキャラクターとかは、いつもの似鳥さんなんですが、自分と瓜二つの人物と出会ったことから陥れられ、はじまる逃走劇、というあたりのサスペンス風の展開は、似鳥さんのいつもの手触りとは違います。
これがおもしろかったんですよ。
まあ、こういうストーリーの場合、最後には主人公が勝つ、と考えながら読まれると思うので、ここでも書いてしまいますが、特に、234ページの「反撃は、ここからだ。」以降に痺れました。
なんと、そう来ますか...
似鳥さんの作品は、やわらかな語り口にくるまれていても、芯には棘があるというか、そういう部分もきちんと拾い上げて作品になっていることが多いですが、やわらかな語り口を控え目にして、もっとサスペンス色を盛り込むとこういう風になるんですね。

あと個人的にいいなと思ったのは、ネタバレになりそうなので色を変えて書いておきますが、主人公が陥れられるという状況は不条理というか、単に似ていたからって...ということかと思いきや、きちんと犯人サイドでは主人公を狙う理由が用意されている、ということです。しかも、その理由から判断するに、いくら子供の頃の話とはいえ主人公も清廉潔白とはいいがたい設定になっているわけです。このあたり、物語設定上のバランス感覚としていいですよね。
「平穏な日々というのは、トラブルとトラブルの間の休憩時間のようなものにすぎないのだ。こちらがいくら真面目に暮らしていても、トラブルはいずれまた、勝手に降りかかってくる。そういうものなのだ」(270ページ)
なんて言っていますが、今回のトラブルは「勝手に降りかかって」きたわけではない、ということですね。 こういう風に、平凡な読者の平穏な日々を確保したうえで、物語が構築されている、というのは美点だと思います。

いつもの似鳥節が大好きですが、たまにはこういうブラック似鳥も読んでみたいです。



タグ:似鳥鶏
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C.M.B.森羅博物館の事件目録(24) [コミック 加藤元浩]







この第24巻は、
「二笑亭」
「ダイヤ泥棒」
「レース」
の3話に、「C.M.B. 森羅博物館の事件目録」番外編として『M.A.U. “ブラックマーケットの魔女”の事件目録』として
箪笥の中の幽霊」
を加えた4話収録です。

「二笑亭」は、遺産を食いつぶそうとするかのように、昭和初期に東京・深川に大地主・渡辺金蔵が建てた二笑亭を模した建物を建て始める兄を心配する妹の事件です。
森羅を待つまでもなく「なにか考えがある気がする」わけですが、うーん、これはどうでしょうか。
いずれにせよ金持ちの酔狂であることに変わりがない気がしてしまいます。もっともっと現実的な方法があったのでは?

「ダイヤ泥棒」は、その名の通り、美術館でのダイヤ泥棒事件を描いていますが、森羅サイドではなく、泥棒サイドからの視点となっているところがミソですね。
ちょっと真相は安直ではありますが、この視点が効いていて、楽しめました。
コミックの特性を活かした良い作品だと思います。

「レース」は、アンティーク・レースを扱っています。知りませんでした、レースの奥深い世界。
近世ヨーロッパで富と権力を誇る上でかなり重要なファッションだった、とは。
そしてその最高峰(?)が、「妖精のレース」。死に際して家宝でもあるそれを燃やそうとした富豪の真意は?
いやいや、ありふれた話といっては失礼ですが、それがレースひとつで耀きを放つ。ステキですね。
ただ、最後の結婚式のシーンはちょっと違和感あるんですが...

最後の番外編「箪笥の中の幽霊」は、森羅ではなく、マウが謎解きをします。
降霊術を扱った作品は、ミステリでは定番中の定番ですが、視覚的なものは実は初めて読む気がします。
なかなかいい感じに仕上がっているではありませんか。
謎が軽いので(箪笥の中で、降霊術の最中殺されるトリックは平凡と言わざるを得ませんが、視覚に訴えてなかなか読みごたえを感じます)森羅ではなく、マウが解くのがちょうどよいのかも。
この番外編もときどき描いてほしいですね。


タグ:加藤元浩 CMB
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Q.E.D.証明終了(46) [コミック 加藤元浩]





この第46巻には「失恋」と「巡礼」の2つの話が収録されています。

第45巻の「初恋」で予告(?)されていた「例の落語家の人たちの事件」を扱っているのが「失恋」です。
「初恋」に対して「失恋」と、タイトルも対になっていたのですね。
こちらにもサム・ロイドのパズルトリック・ドンキー」が引用されています。こちらは、まずまずうまく使われているように思いましたが、その分ネタが割れやすくなってしまっていますね。これでは、わかりやすすぎます。
扱われている謎は、一種の密室状態ともいえる楽屋での現金紛失事件なのですが、状況的には可能性が限られており、そのうえ「トリック・ドンキー」を受けて燈馬が「意外な人間同士がつながっている」というなんて、ちょっと読者のレベルを低く想定しすぎているのではないでしょうか?

謎の部分は置いておくとして、落語家を中心とした芸人が扱われていますが、角丸師匠のセリフがなかなか印象的です。
人間に幸せになる2つのスイッチを持っていて、1つ目は美味い飯を食ったり趣味に興じたり…自分だけで押せて幸せになれるスイッチ、2つ目は他人にほめられたり認められたりして他人に押してもらわない限り幸せと感じられねェスイッチ。
2つ目のスイッチは、喜びが強烈で、とめどなく推してほしいと思うしやみつきになるので、次第にスイッチを押してもらうためならなんでもしたいと思うようになる、と。
その上で、舞台とは他人にスイッチを押してもらう場所で、気が付くと大事なモノを失ってるかもしんねェ、とならないよう、お客さんに出すものと出さないものを分けることを説きます。
出すものが“芸”だと。
これを、まざまざと示す結末を猫柳あやめは迎えるわけですが、なるほどねー、と思いました。
<余談1>
現金(1万円)のことを、「戦闘力1万の諭吉カード」と読んでいるのは笑えました。

「巡礼」は、戦時中はるばる仏領インドシナのハノイまで赴き(しかも重慶近くの南昌からハノイまで歩いて!)自分の妻を殺した男の裁判で慈悲を乞うた外務省官僚雨水の心理の謎と、その雨水を書こうとしていたノンフィクション作家が原稿をお蔵入りさせたのはなぜかという謎を扱っています。
心理の謎、というのは、どこまでいっても探りきれないものではありますが、この作品は上手に手紙を使っていていたく感心しました。すばらしい。
凌遅刑(身体を少しずつ削って殺す、中国の一番重い刑罰)なんて言葉も出てきますが、被害者の遺族の気持ちは考えるのが難しいですね。
重いテーマですが、コミックという形態がすごくうまくマッチしているように思いました。
さすが加藤元浩です。
シリーズ第46巻にして、惰性に陥らずこのクオリティ、すごいですね。
<余談2>
サイゼリアをもじって、サイぞリアというのが出てきて看板にサイがうつ伏せの状態から背をそらすイラストが描かれていて笑いました。
どうせなら、サイぞリ屋にしてくれた方が、イラストにマッチしていたのに、残念。
<余談3>
燈馬が心ひかれた(?)カエルの置物、楽器を演奏しているもので、なんだかかわいいですね。
ぼくも欲しくなりました。






タグ:加藤元浩 QED
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世界記憶コンクール [日本の作家 ま行]

世界記憶コンクール (創元推理文庫)

世界記憶コンクール (創元推理文庫)


<裏表紙あらすじ>
ある日、萬朝報に載った『記憶に自信ある者求む』という求人広告。見たものを瞬時に覚えられる博一は、養父の勧めもあって募集に応じた。見事採用となり、高い給金を得て記憶力の訓練を受けていたのだが――。心優しき雑誌記者と超絶美形の天才絵師、二人の青年をはじめ明治の世に生きる人々の姿を人情味豊かに描いた、〈帝都探偵絵図〉シリーズ第二弾。表題作を含む五話収録。


「人魚は空に還る」 (創元推理文庫)に続くシリーズ第2弾は、以下の5話収録。
「世界記憶コンクール」
「氷のような女」
「黄金の日々」
「生人形の涙」
「月と竹の物語」
今回も表紙が非常に印象的ですね。
イラストは下村富美さんという方が描いていらっしゃいます。

シリーズ第2弾といいつつ、作品構成は異色(?) です。
心優しき雑誌記者:里見高広と超絶美形の天才絵師:有村礼の二人組の物語というふうにシリーズをとらえると、第1話である表題作「世界記憶コンクール」はその通りなのですが、第2話「氷のような女」は高広の父基博の話、第3話「黄金の日々」は高広・礼ではなく、以前登場した森恵(サトシ)の話。第4話「生人形の涙」と第5話「月と竹の物語」は高広・礼に戻りますが、通常のシリーズなら番外編とでもいう感じの周辺の人たちの物語が2つ挟まれています。
このシリーズはこうやって輪郭を拡げていきながら続いていくのかもしれませんね。
特に、「氷のような女」での基博、いい感じです。

『「赤毛組合」「ボヘミアの醜聞」の真相に触れています』と巻頭に掲げられていますが、「世界記憶コンクール」は裏表紙のあらすじ読んだらそのまんま「赤毛組合」ですもんねぇ。
「ボヘミアの醜聞」の方は、第4話「生人形の涙」です。
下敷きにしたものがあると批判的になる読者もいらっしゃるかもしれませんが、このシリーズはこれでよいのです。なぜなら、礼がホームズ物語のファン、で、ホームズばりの推理を高広に強要する、というのがコンセプトですから。ホームズ物にインスピレーションをもらったような物語が多くてもそれでよいのです。
それに、いずれの話もオリジナルをそのままコピーしているのではなく、物語の溶け込むようにきちんと加工してありますから。
むしろ、この2作の方が、ほかの作品より出来がいいように思います。またその方がミステリ度もアップするみたいです。
その証拠に(?)、「生人形の涙」がこの作品集の中では一番好みです。

解説で大矢博子が登場人物の相関図を掲げているのですが、これがとてもよくできている、というか、わかりやすいです。手元に置いておいて、シリーズを読むときに観るのがいいかも。

シリーズは
「人形遣いの影盗み」 (創元推理文庫)
「怪盗の伴走者」 (ミステリ・フロンティア)
と続いています。
のんびり追いかけることとしましょう。

<蛇足>
「人魚は空に還る」 に出てきた怪盗ロータスが出てこなかった!! 期待してたんですけどね。






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三つの名を持つ犬 [日本の作家 近藤史恵]


三つの名を持つ犬 (徳間文庫)

三つの名を持つ犬 (徳間文庫)



<裏表紙あらすじ>
犬を撫で、その温かさに触れることで、ようやく少し救われる。売れないモデルの草間都は、愛犬エルとの暮らしをブログに綴ることで、心が充たされるだけでなく、生活の糧も得ていた。だが、ある夜エルは死んでしまう。追い込まれた都は、エルそっくりの飼い犬を、思わず家に連れ帰ってしまった。ちいさな罪のはずが、それはやがて思いがけない事件に…切なく胸を打つ傑作ミステリー!


いやあ、1ヶ月以上もブログ更新しませんでした。4月、忙しかったですね。
ゴールデンティーク半ばの出勤した今日、久しぶりに更新します。

上に引用したあらすじにもある通り、犬をめぐるストーリーです。
「思いがけない事件」が起こりますが、するすると展開していって、もう一人の主人公ともいえる江口正道(FX取引で失敗し、詐欺グループに身を落としている)と草間都が交差します。
どんどん逃げ場のなくなっていく状況になり、物語は一つのラストを迎えます。
このラスト、ミステリ的な意外性とは違うのですが、非常に意外なラストだと思えました。ここに着地させるのか~、と。
ガール・ミーツ・ドッグであり、ボーイ・ミーツ・ドッグであり、かつ、ボーイ・ミーツ・ガールとして成立している物語で、苦い結末ではありますが、ある意味救いなのかもしれません。

ただ、気になったことがあります...
あらすじを読んだ印象で、犬好きな人の話なんだと思ったんですよね。
ところが、オープニングからの草間都の物語を通して、犬好きとは思えない。
ペットなんだからそれでいいのかもしれませんが、あくまで自分の都合が最優先で、なんだか犬はいろんな意味での道具みたい。(だからエルを死なせてしまう、と言ったら言い過ぎでしょうか?)
さっと読み返してみると、犬好きとして取材を受けるシーンはありますが、作者は都のことを直接的に犬好きとは書いていません。だから、あらすじから判断したこちらの勝手な思い込みのせい、ではあるのですが、気になりました。
それよりも、正道の方がよほど犬好きのように思えました。
一方で、犬好きならこういう行動はしないんじゃないかな、と思える行動を都はとり、その結果物語が転がっていくので、ストーリー上の必然だったのかも。
犬に比べて自分勝手な人間を描くために都をそういう設定にした?
あるいは、そんな程度の「犬好き」でしかない都すら動かすほど犬には魅力があると言いたかった?
ちょっとここがわかりません。
犬好きの方は、どういった感想を抱かれますでしょうか?


タグ:近藤史恵
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